共感覚的表現と撞着語法

「テレビの可能性 吉田直哉が残したもの」と題するNHKの特番を昼過ぎに見かけました。
制約は時に情熱を持つ人の意欲を掻き立て道に気づかせ導くことがあるのでしょうか。

家紋を次々に映し、それに武満徹氏による効果音を流すという実験的な番組の制作過程も紹介されていました。そのVTR中に「沸騰する沈黙」という言葉がありました。消えてゆく小さな音のつくりだす間について吉田氏と武満氏のやりとりの中で交わされた言葉の中で。日常の語法では明晰な了解を得られない表現ですが数ヶ月も制作過程をともにした間柄ではもしかしたら共通のイメージを惹き起こす言葉だったのでしょう。僕は何故かこの言葉を耳にしたとき笑ってしまいました。アブラハムの息子イサクの命名のいわれと同じような、理解し難い事柄を突如前にしたときに時折、何故か生じてしまう種類の笑いのように。VTR明けにスタジオの人たちが「沸騰する沈黙」に言及したとき故人を知る彼らも笑っていました。

「輝く暗闇」*1といった表現が何故か頭をよぎりました。
「沸騰する沈黙」という表現に理解の及ばない超越を感じたのか。脳の連想の仕組みって不思議です。

*1:ニュッサのグレゴリオス「モーセの生涯」より