平和をつくる --- 「正義」を取るか「平和」を選ぶか

神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良いすべての木を生えさせた。園の中央には、いのちの木、それから善悪の知識の木を生えさせた。
旧約聖書 創世記 2章9節)

しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。
旧約聖書 創世記 2章17節)

武装解除  -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)

武装解除 -紛争屋が見た世界 (講談社現代新書)

大きめの書店を数軒まわったけど、いずれも品切れ。テレビの影響かもしれない。




http://www.ntv.co.jp/sekaju/class/081115/03.html


大柄な体格で静かに、残酷な現実も事実をふまえて扇情的に流れず伝え、問題点をえぐり指摘するだけでなく、やってきたことと解決の道筋を淡々と語る姿には迫力と説得力がありました。同僚や部下で亡くなった人たちもいるとのこと。紛争地域における武装解除を国連や日本政府の依頼のもとに行なっている人がいるとは知りませんでした。

あなたは正しすぎてはならない。知恵がありすぎてはならない。
なぜあなたは自分を滅ぼそうとするのか。
悪すぎてもいけない。愚かすぎてもいけない。
自分の時が来ないのに、なぜ死のうとするのか。
一つをつかみ、もう一つを手放さないがよい。
神を恐れる者は、この両方を会得している。
旧約聖書 伝道者の書 7章16-18節 - 新改訳)


武装解除が可能であること、その先に、国軍設立による安全保障を含むメリットがあることを信じさせるための交渉がいかに大変か。麻薬を使い少年兵を仕立て成人の上官にするなどのゲリラ組織がいかに扱いにくいか。想像し難い事態だ。交渉において人権や正義といった理念と戦争状態を止めることのどちらをとるかのぎりぎりの局面に立つのだという。そこで戦争を止めるためには妥協が必要、大切だという言葉が響いた。とにかく人が殺される事態を終結させるのだという意思を感じた。ことの善悪の議論に耽るよりも、とにかく、いのちが守られる仕組みづくりのために尽力するという意志を。
戦争は広告、プロパガンダによって鼓舞され操作されると語り、具体例を示す。かといって、ヒステリックに声を荒げはせずに、同じこの広告という手法を平和のために使えないかと考えていること、そして実際に展開されたキャンペーン事例を紹介。平和という産業が必要、今、戦争の予防に取り組んでいる、との言葉が印象に残った。


Secrets of Modern Chess Strategy: Advances Since Nimzowitsch
Petrosian's Best Games of Chess 1946-1963 (Hardinge Simpole Chess Classics S)
How to Defend in Chess: Learn from the World Champions


旧ソ連圏にはチェスの歴代世界チャンピオンが多い。そのなかに地味な玄人好みのペトロシアンがいた。アルメニア人。虐殺された民族の歴史が影響しているのかわからないけれども、彼はチェスの戦略に予防[prophylaxis]という概念を導入した。ポジショナルな利点を積み上げ、ときにエクスチェンジ・サクリファイスによる静的な戦力の不均衡をつくり、負けない戦果を得る。ドローの多い棋士。勝利よりも、敗戦という結果をいかに避けるかを追求するスタイル。われわれ素人が結果としての棋譜の表面だけを眺めても、その背後にある盤面全体への深い洞察に基づく、将来、敵の行ないうる選択肢を未然に防ぐ考えは捉え難いため、ともするとつまらなく感じる。適切な解説に導かれると彼のゲームは実は退屈ではなく面白いもの、驚くべきものに感じられる。
アレキン(アリョーヒン)のように華麗でラスカーやタリ、フィッシャーのように勝ちに執着するカスパロフは若い頃、老年のペトロシアンに2敗している。その後2勝しているので通算引き分け。対極のようなペトロシアンのスタイルから学ぶところ多かったと "Petrosian's Legacy" の序文に寄せている。攻めが好きだけど、ペトロシアンやカルポフのようなスタイルからも柔軟に学んだことも、カスパロフのオールマイティさ、強さにつながったのだろう。


伊勢崎賢治氏の話しぶりは堅実で、大袈裟なところが感じられなかった。そしてスケールの大きなことを綿密にこなしていく。原丈人氏もそんな感じだ。凄い人物が同時代にいて活躍している。きっと、多くの人の心にとどくに違いない。
どうか平安が、ありますように。

義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。
新約聖書 ヤコブの手紙 3章18節)