なぜ紫だったのか

英国のチャールズ皇太子ご夫妻が日英両国の外交関係樹立150年を機に10月末に5日間来日されました。天皇皇后両陛下とお会いになった後、奈良の東大寺正倉院を訪問され東大寺の大仏もご覧になったようです。

この東大寺に神輿にまつわる出来事があったことを知り驚きました。
日本各地の神社の多くには神輿があり各地域で祭りの時期となると神輿が担がれます。この神輿について言及する最古の文献は続日本紀延暦16年(797年)完成)だそうです。それによると天平勝宝元年(749年)12月に大分の宇佐神宮宇佐八幡宮)から奈良・平城京東大寺八幡大神を祀る神輿が運ばれたと解釈できる記録があるとか。続日本紀の巻十七、天平勝宝元年十二月の記述です。

続日本紀には東大寺に運ばれた神輿は紫色、と書いてあります。一方で現在、全国で見かける神輿は金色に輝いています。もし現代まで伝わる神輿の構造が古い時代の特徴をほぼ正確に伝えているのだとすると、宇佐神宮から東大寺へ運ばれた際に神輿は人目や外気に対して剥き出しにされずに紫色の織物で覆われていた、ということが暗示されているのでしょうか。

旧約聖書にも定められた人々によって二本の棒を用いて担がれる金色の箱が登場します。この契約の箱を安置する至聖所と聖所を仕切る垂れ幕は、青色、紫色、緋色の撚り糸と亜麻布でつくられケルビムの模様が織られていたそうです。(旧約聖書出エジプト記26章31−33節)この垂れ幕も紫色に見えたりしたのかな。

もしも現在各地にある神輿には原型が存在していたのなら、今もどこかに大切に保管されていますように。


出典:Israelites Came To Ancient Japan

上記は日本とイスラエルに関するサイトに掲示されているイラストです。この絵は不思議です。棒を担いでいる人々の装束や体型、描き方からは彼らが日本人であるかのような印象を受けます。神職の人々のような。ところが担いでいるのは日本で見慣れた神輿とは異なります。箱に2本の棒を通し多人数で担ぎ、箱の上部には翼をもつ造形物がある、という構造は神輿と共通なのですが。このイラストでは日本の一般的な祭りでよく見かける神輿とは形状が異なり箱に曲線部分が無く上部には一体の鳳凰ではなく、向き合う2体の翼を持つ像があります。これは旧約聖書に書かれた契約の箱を担ぐ人々の絵に見えます。このイラストは何かを模写あるいは撮影したものなのでしょうか。

神輿に関する最古の文献は8世紀後半に書かれた続日本紀と知られるように、絵画での記録も古いものが保管され公開されているのでしょうか。